Live and Think

A's not-so-secret diary

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「おいしい」をつくるもの

 

 

「脳の神経細胞は、

神経経路の繋がりを更新する」

 

 

 

はい難しい

 

 

 

実は私の今一番好きな授業で

やってることだ

 

 

 

つまりは

脳の細胞は必要な情報と記録だけを残して

今後いらないものは捨ててしまう

というのを繰り返して

もう使わないものはどんどん捨てちゃう

断捨離上手

 

 

 

ということ

 

 

 

言語が一番いい例

 

生まれたばっかの赤ちゃんは

どんな言語を喋る才能もあるのに

 

最初に身に付ける言語のせいで

脳の経路はその言語専用に繋がって

 

他の言語に必要かもしれない情報は

捨てられてしまう

 

ということ

 

だから私達には

 

発音するのがどうしても難しい発音

(生まれたて赤ちゃんの舌は

どんな発音も出来るようになってる)

 

が出てきたり

 

ほとんど差の分からない音の違い

 

なんかが出てきたりする

 

 

 

遺伝の体よりも

生まれ育つ文化によって

脳はみんな違うということ

(この場合の文化は広い

国、地域、家族などなど)

 

 

 

 

味もそう

 

 

なはず

 

 

 

 

 

今日は同じ大学に通う交換留学生と

International dinnerと題して

自分達の国の料理を持ち寄るディナーがあった

 

 

 

 

 

心に残った料理がこの2つ

 

 

 

エントリーナンバー1

Okroshka(オクローシュカ)

ロシア

 

キュウリ、ハム、ディルなどの野菜を細かく刻んで

Kvass(クバス)という

麦芽ライ麦を発酵させた飲み物を

ひたひたにかけるスープ

 

私は怖々クバスをかけたので

写真はクバスが全然足りない

 

本当はスープだから

シリアル対牛乳の割合でかかってるそう

 

ここにサワークリームを付けて食べる

 

 

そのむかしむかし中世の時代に

荷船の運転手が、

お昼ごはんに干した魚とクバスを

支給されたときに

魚にかじりつくには歯が弱いから

クバスに浸して食べたのが始まり

 

という一説*

 

 

 

オクローシュカの野菜だけならば

サラダ感覚で食べれるがクバスがかかると

(ごめんなさい)

好きな味ではなくなった

 

 

 

 

 

 

エントリーナンバー2

Vegemite (ベジマイト

オーストラリア

 

 

一見チョコペーストに見えるけど

酵母エキス(イースト)のペースト

 

ものすごくしょっぱい

本当にしょっぱい

 

1923年に初めて販売されて

日本でもカルディーで手に入るらしい

 

個人的には

味が非常に赤味噌に似ていて

違和感無く食べた

 

 

 

 

 

 

そう

 

 

 

 

私の脳はオクローシュカを

おいしいと思う神経経路を

絶ってしまったのだ

 

 

 

 

 

もちろん

日常生活をしていたら

私の育ってきた文化ではサラダを食べるから

野菜だけだったらおいしい

 

 

でもクバスを美味しいと舌が思う感覚は

私の脳からは20年の人生のどこかで

消えてしまった

 

 

 

 

それに比べて

私はベジマイトを普通に食べた

 

 

私は小学校を名古屋で過ごした

お味噌汁もおでんもうどんも

全部赤味噌だった

 

八丁味噌工場にいって

赤味噌をそのまま味見した事もある

 

今でも家では赤味噌のお味噌汁が

頻繁に食卓に出る

 

 

 

だから私の脳には

赤味噌の味を美味しい

(というか当たり前のもの)と

認識する経路が通ってくれていた

 

 

 

だからお味噌の味に似ていた

ベジマイトを私は

全く違和感無しに食べたのだ

 

 

 

 

 

私の脳は生まれてから

「おいしい」と思う感覚を

いくつ捨ててしまったのかしら

 

 

食べ物自体が

おいしいか

おいしくないんじゃない

私達が

おいしさをもう知ってるか

まだ知らないか

なのだ

と気付いた

 

 

 

ある一定のものを

美味しくないと思う脳に

なっちゃったのは

ちょっと悲しい

 

でも脳は

新しい情報を得て

繋がりを塗り替える

最初の言葉を使えば

「更新する」

ことが出来る

 

やっぱり新しい経路を更新するのは

年とっていくうちに難しくなるみたい

 

 

でもまだ希望はあるある

今から新しい「美味しい」を

脳の中で繋げれる可能性はまだまだある

 

 

 

だからいろんなものを食べてみたい

 

 

 

世界中には

いっぱいいっぱい

まだまだ美味しい料理

あるはずだから

 

 

 

そのお料理を

美味しいって言えるように

 

 

 

 

 

New York, Manhattan「今捨てたごみ、誰が拾ってる?」

 

"Big Apple Beautifiers"

 

 

ニューヨークチェルシー地区を

月に1回お掃除している団体

 

 

 

今年で10年

 

 

 

10年間

貴重な日曜日の一日に

朝早起きして

 

タバコの吸い殻と

落ちてるコップと

くっついてるガム

 

こんなものを一生懸命に拾ってきた。

 

 

 

 

 

日本人じゃない人もちょこっといるけど

基本的には日本人が中心の団体

 

 

昨日は30人だったボランティア参加者の人数も

 

 10年前はたったの3人。

 

 

この頃のチェルシーの街は

本当に汚くて

 

 

布団が落ちてたり

生ゴミが平気で落ちてたり

 

 

そこを掃除して

ごみを拾うその人達に

 

 

 

「仕事ないの?いい仕事紹介しようか?」

 

 

 

とそんなこと言う人もいたらしい。





今はしっかり

私達に気付いてくれる人が居る。

 

通りすがりに



"Good Morning"

と明るく挨拶してくれる人

 

 

"Thank you I really appreciate your effort"

 

 

 

と感謝の気持ちを言ってくれるひとがいる



ゴミを拾うっていう行為が理解出来なかったひとたち

でもきっと気付いたんだと思う



街は勝手には綺麗にならないから。

誰かが綺麗にしないと。


自分じゃない誰かがこうやって

綺麗にしてくれてる


10年経って

知ってもらったということだと思った。





私も知らなきゃと思った

ニューヨークだけじゃない


東京でも街が綺麗な理由があるってこと





例えば表参道とか原宿が

歩道が綺麗な理由


週2回

ボランティアの団体グリーンバードが

ゴミ拾いをしてくれてるから



グリーンバードは

渋谷でも

新宿2丁目でも

荻窪でも

いろんなところのゴミを拾ってくれてる



「グリーンバード」

ってグーグルで検索かけて調べてみる

それで知る事。

それだけでも最初の一歩はいいんだと思う。



 



 

朝まだ人々が街に出てない時間から

 

静かに

 

落ちているゴミ拾いと

街のゴミ箱の拭き掃除

枯葉のはき掃除を始めて

 

 

みんなが起きて

活動を始めるころには

 

私達はもう掃除は終わってた。

 

 

 

誰に見てもらうためにも

誰かにご褒美をもらうためにも

掃除しているんじゃない。

 

 

なんとも日本人らしい謙虚な方法の

コミュニティの貢献だと思った。

 

 

 

 

謙虚

 

 

 

いつも思う。

 

「日本人は謙虚なところがいい」

私もそう思う。

でもそれが外国の人達に通じるのかわからないときがある。

 

 

謙虚なことがいいって思わないかもしれない。

 

 

なにがどういうとこが具体的に謙虚なのか

説明するのは難しいし

私は正直聞かれてもわからない。

 

 

 

 

アメリカ人の参加者のひとりが

清掃の感想を言った。

 


「自分は腰を曲げて

ごみを拾ってる

通り過ぎる人達は自分よりも目線が高くなる

自分はかれらを見上げる事になる。」



そして

 

"It  makes me humbled"




って言った。

 

 

通訳した日本人の女性は

 

「掃除をしながら謙虚な気持ちになるそうです」

 

と訳した。

 

 

 

 

 

彼が使った単語

 

"humble”




辞書には

 

1.(人)を謙虚、控えめにさせる

2.(人)の誇りを傷つける、(人)に恥をかかせる

 

と書いてある。



 

1番の訳はポジティブな感じでなんか良い事みたい

2番の訳はおなじ言葉でもネガティブな感じ

紙一重



私達が「謙虚」って言う言葉と

"humble"を訳し合うときは

1の訳を使ってるはず。

 

 

彼が1と2どっちの意味を思って明確にそういったかわからない。



ささやかな、気持ちのいい心になったのかもしれないし

どこか悔しい気持ちになったのかもしれない。

 

 

でも団体の人数が増えた事も

地域の人の目が変わった事も



日本的な1の訳のhumbleの良さを

理解してもらえたっていうことかも。




日本人の謙虚なところ

それが長所だと思うのなら

どんどん発信しなきゃ。



そして

「日本人は謙虚です」って


言葉にはしなくても


 



自分で動いて

「謙虚」を体現してみるのも




ひとつの発信方法かも

 

New York, Brooklyn「店員にだって人生がある」

21:59

 

 

あと一分

あとちょっと

 

 

閉店まで

 

あと

 

ちょっと、、

 

 

 

ウィンと扉が開いて

 

お客様がご来店。

 

 

 

あぁぁ

これで早く帰れなくなった。

 

 

 

と心の片隅で思っていたのは

バイトを辞めたから言える事だけど。

 

バイトでラストのシフトに入る時の一幕。

 

 

 

これはこっちでは起きない。

 

なぜなら

 

"Sorry we are closing"

 

とドアを閉められて多分絶対入れてもらえないからだ。

 

しかもごめんなさいな顔はしない。

 

だめだよーもう入れないよーの顔をする。

 

 

 

 

 

閉店時間が近くなると

平気で床掃除をしたり

ゴミを出したりする。

 

図書館の貸し出しのおばさんも

隣の人とお喋りしながら

私の借りる本にバーコードを当てる。

 

そうだ思い出した。

JFK空港の入国審査官は

入国者が長蛇の列で今か今かと並ぶ中で

ブースを閉めてお昼ごはんに行った。

 

 

 

 

 

閉店作業は

基本お客様の目の前ではあまりやらない。

床掃除はお客様が帰ってから。

 

どんなにお話したいことがあっても

お客様が入ってきたら

もうお話は一旦終わり。

 

シフト中私達のお昼ご飯(休憩)は

お店の込み具合=お客様の数

で時間帯がずれる

 

 

 

 

お客様一番主義の日本の接客

 

 

 

 

似ても似つかない接客だ。

 

 

彼らの接客は

私には私のペースがあるんで。

今話したい事があるんで。

話したい相手が居るんで。

 

大きく言って

私には私の人生があるんで。

 

と言わんばかり。

 

 

 

 

接客する側と接客される側は

同等。

 

 

 

彼らの接客は

 

お客様目線だと

特に日本の接客に慣れてる私なんかは、

おーい聞いてる?とか見えてる?とか

無愛想だなとか適当だなとか

言いたくなる。

 

店員目線だと

お客様と自分は同じ人間。社会的地位の持ち主。

たぶん気楽だし

公私混同してるし

オンとオフがはっきりしなくていい。

 

 

 

 

日本で接客をしていると

自分がサーブをする側に立っている事を

身に染みて感じる。

 

店員にため口を使うお客様もいる。

(個人的に私は反対派)

客>店員

ヒエラルキーがかなり具体化されてる。

 

 

 

私たちの接客は

お客様目線だと

丁寧、綺麗、早い

(もちろん日本人の私は日本の接客すき。)

 

店員目線だと

正直なところ

なんでこんなに下側に立たなきゃなのかしら

なんて思ったりするときもある。

 

 

 

 

 

でもやっぱり

 

接客という仕事をしてるからには

お客様に

満足だな

優しい店員だったな

サービスよかったな

って

商品以外の付加価値を

持って帰ってもらう

 

そんな接客の方が私は好きかも。

 

 

 

 

 

それから

 

 

 

 

レジの人が今接客してるおばちゃんと

ずっとお喋りしてて

私がレジに行けない。

手に持ってるアイスが溶けちゃいそう。

 

カフェテリアのレジのおばさんは

一人の生徒と話が弾むと

例え後ろがどれだけ並んでいようと話してる。

 

 

 

なんてときもある。

 

 

 

 

 

 

回転率重視の日本の接客

 

 

 

 

ここでもまた違う。

 

 

 

 

私は

列が並んできたら

早くそれを解消させなきゃって

焦るタイプ。

 

今対応してるお客様に対して

早口になっちゃうし

こっちが素早く行動してるから

相手をせかしてるかのよう。

 

 

 

 

彼らの接客は

確かにものすごく回転率は悪いし

並んでる側からすれば

そわそわしてくるくらい

早くしてほしいと思ったりする。

 

 

でもその一人、

目の前の一人を大切にしてる。

繋がりたいって思ってる。

今日来た何十人分の一人じゃなくて

いや何十人分の一人なんだけど

お客様からしたら

その店員が一人の店員なのと一緒で

そのお客さんをちゃんと

「一人」にカウントしようとしてる

 

なんかほっこりする。

 

 

 

 

 

日本の接客と

アメリカの接客

いいとこ取り出来れば

一番いい感じ。

 

そう簡単じゃないってね。

 

 

 

 

 

 

ちなみに今日読んだ社会学の教科書によると

ドイツの店員は一切笑わないらしい。

アメリカのチェーン店がドイツに出店した時に

アメリカ式に店員に笑顔で接客させたら

 

お客から苦情があったんだって。

 

軽くて嫌だって。

 

 

ほんとかな。教科書だからほんとか。

 

 

文化による接客の違い

 

ふむふむ。

 

 

New York, Manhattan「日常と非日常」

 

 

 

BIG BUSに乗るために並んでる人達が居た。

観光客。

この街を観光しにきてる。

 

自分が観光客のときは

はぁこんなところで住人になれたらなぁと思うのに

 

いま観光客を見てると

観光客になりたいなぁと思ったりする。

 

どんなにみんなの憧れの街でもそんなものなんだろうな。

そこに日常がある時点で

霞んじゃうのかもしれないなぁ。

 

東京もそっか。

 

写真撮って

おいしいもの食べて、、

日常に埋もれると

そんな街じゃなくなっちゃうのかも知れないな。

 

っていいながら公園の噴水写真撮って

美味しいパスタスープをぱくりする金曜の午後。

 

 

 

 

 

 

女性のかほり

 

女性としてどうのこうの

男性としてどうのこうの

というのは

今の時代あまりよろしく無いのかもしれないけれど

 

 

 

 

 

最近

「こんな女性になりたい」

という友達と

会う事が出来たので

その人を考察することにした。

 

 

 

 

それで

気付いたことを

まとめてみた

というのが今日の話

 

 

 

 

 

 

<鏡>

部屋に鏡を置くこと

自分がよく映る鏡を置くこと

 

彼女の部屋には全身鏡を含めて鏡が3枚ある

 

彼女は以前から、

「私年に1度の健康診断の時しか体重を計らない」

と言っていた。

体重の増量を気にして

アメリカまでタニタの体重計を持ってきた私にとっては

彼女がどうやって体計を維持しているのか

不思議でならなかったが

ようやく分かった。

 

自分の姿が常に視界に入る事

常に自分を見る事

もっと言ってしまえば

体を見る事

自分の体を知る事

これが体重計に乗って数字を見るよりも

効果的なのだと気付いた。

 

着替えて服を確認する度

ピアスを付ける度

靴を履いて部屋を出る度

鏡に自分が映る。

 

 

もう一つ思ったのは

思い過ぎかもしれないが

私の部屋にある全身鏡よりも

彼女の部屋にある全身鏡の方が

ほんのちょっと自分の映りがいい。

これが鏡自体の問題なのか

あるいは他の効果(光の射し方とか)なのか

私には分からないけれど。笑

 

 

自分のお気に入りの自分が映る事で

自分を好きになれる

自分にとって映えるものが分かる

似合うものが分かる

 

それは身に付けているものだけでなくて

体そのものもそうだ

 

ただ細いと太いの話だけでなく

自分が綺麗に見える体型がわかる

自分の美しさに気付ける

 

こんな風に過ごしていれば

自分が好きになれるし

綺麗だと思える。

 

自分が綺麗だと思えるから

見た目に値出来るような

言動、行動も伴った

そんな中身で居ようと思う。

凛とした気持ちで

毎日を過ごせるのだ

 

綺麗に居たいなら

体重計よりも鏡だな。

 

 

 

 

 

<香水とリップ>

 

「私は常にこれ一筋」の考えがいらない時なのかもしれない

 

彼女は手持ちの香水とリップが

多い。

異常に

多い。笑

 

私が今持っている口紅の数は

三つ。

オレンジ系が一つ

マッドなレッドが一つ

ピンクベージュが一つ

 

香水に至ってはたった一つしか持っていない。

 

ところが彼女は

リップとパフュームを本当にたくさん持っている

その中でも

頻繁に使っているもの、ほぼ使わないもの

もちろん差があるかもしれないが

 

その時の気分

スタイル

季節

天気

 

色んな要素から

どんな色、どんな香水を身に纏うか

決める

 

ベーシックな日の自分

遊び心がある自分

シャキッとした日の自分

初春、初夏の自分

連日の雨が止んでからっと晴れた日の自分

 

ほんのちょっとの事だけど

毎日新鮮な気持ちになれる

 

小さな事かもしれないが

とても優雅だ

 

本当は不必要なものや

その場の勢いのもの

安いけれど長持ちしないもの

そこを少し我慢して

こんなところで少し贅沢できる女性になりたい

 

 

 

 

<人と会うこと>

 

彼女は

人と会う予定を頻繁に入れている

 

もちろんお誘いが来るのだろうが

彼女自身から予定を誘うことも多いのだと思う

 

実際「今日空いてる?」と

ラインが動くときは

毎回ほとんど彼女からだ

 

 

将来のやりたい事のために、

どんな人の出会いも

その小さな出会いが

自分の未来に繋がっているかもしれない

と思うのかもしれない

 

色んな人と会って

色んな話を聞いて

自分の思考を耕す

 

 

もちろん一人の時間も大切だし

私自身個人的に週1回はそんな日が欲しい

 

簡単な話だけれど

他人と接する事は

自分のためにもとても大切なことだと

再認識する

 

 

 

 

 

<セクシーであること>

 

彼女と話していると

何を隠そう

かーならず女の子な話になる。

男の子には言えない

ちょーっとした話になる

周りが日本語が分からない人達で良かったと

安堵する時が、ある。

 

でも彼女はそのちょーっとした話を

なんでもなく話すのだ。

 

ある時思った。

 

そのちょっとした話を

なんでもなく話せる彼女は

だいぶセクシーだ!

 

綺麗であることは

自分自身を一人の女性として見られる事

女性ならではの愉しみ方を知ってる事

 

 

 

ちょーっとした話をさらっと笑って

ジョークみたいに話しちゃう

ちょっと大人な女性に

 

 

 

 

 

 

なれるのはいつかしら。

 

 

 

 

 

 

 

2200時間

2200時間

 

 

詳しく言うと2200授業時間

 

 

 

この数字は

英語が母国語のひとたちが

第二カ国語として日本語を勉強する場合

 

流暢に話せるようになるまでの

学習総時間数だそう。

 

 

イコール

 

 

88週間

 

 

イコール

 

1.69年

 

 

 

Foreign Service Instituteっていうところが

定めた基準によると

 

 

英語が母国語の人達にとって学ぶ言語として

一番難しい言語の部類(カテゴリー5)に、

 

中国語、韓国語、アラビア語と並んで

日本語が入っている

 

 

 

そしてさらに

「日本語」とかいてある右横に小さく*印がついてて

 

「*印は英語話者にとって特に難しい言語です」

と注意書きがしてある。

 

 

 

逆に一番簡単な言語(カテゴリー1)には

スペイン語、イタリア語、ポルトガル語オランダ語、フランス語

が入っていた

 

英語の言語の祖先様と血がつながってる言語達だ

 

 

 

 

 

 

私はここで

こんな難しい日本語を話せてる自分達がすごいと

言いたいんじゃない

(ちょっとすごいと思ったけど)

 

 

カテゴリー1の言語達が簡単だとされてるのは

その言語が英語と近くて似てるからだ

 

ということは

カテゴリー5に分類されてる日本語は

英語から最も遠くて似てない

ということになる

 

 

 

余談すぎるけど

 

英語を基準として他の言語をみているこの基準は

ちょっとEthnocentric民族中心的、

だなと

 

"Easiest language to learn"

"Hardest language to learn"

 

とグーグル検索しても

出てくる答えはすべて

 

"Easiest language to learn for English speakers"

"Hardest language to learn for English speakers"

 

しか出てこない。

 

Easiest language to learnで

英語が出てくる事をちょっと期待してた私だが

ほとんど出てこなかった

 

あまり認めたくないのかしら

 

唯一出てきた

英語は簡単だ書いたアメリカ人のブログは

 

「英語は簡単だ

なぜなら、第二カ国語としていろんな人が英語を話すから、

たとえかたことでも

ネイティブスピーカーが大目に見るからだ」

 

ということでちょっとなんとも悔しい感じだ

それが英語のいいところでもあるのだけれど

 

いろんな英語があるから面白いのだけれど

 

Ethnocentrismの話はまた今度ちょっとしたいかも

 

 

 

ということで余談は終わり

 

 

 

ということは

カテゴリー5に分類されてる日本語は

英語から最も遠くて似てない

ということになる

 

の続き

 

そう

 

ということは逆もそうなのだと思った

 

 

英語から一番離れてる言語を話す私達にとって

英語を習得するのが難しいのは

当たり前だ

 

 

 

 

そして間違いない

 

多くの人は

2200時間以上英語を勉強してる

1.69年以上英語を勉強してる

 

少なくとも私は中学1年生で

学校の英語の授業始めてから

今年で

 

9年目

 

小学生の頃のベルリッツなんかを足したらもっと

 

確実に総授業時間数は2200時間を超えてる

 

 

 

 

でも難しい

まだまだ全然英語が出来ない

 

 

 

 

でもしょうがない

さっきのブログの人のお言葉を認めざるを得ない

 

日本人の日本流の英語をどうぞ聞いていただきたい

 

むしろそれで何が悪い

 

 

 

 

だって私達

あなた達と一番遠い言語

話してるんだもの

 

 

 

 

 

英語が片言ってことは

他の言語が喋れるってこと

 

 

 

New York, Brooklyn「大人の嗜み」

「ブルックリンのバーに夜9時集合で。」

 

そう聞いてちょっと腰が引けた。

 

私にはまだ早い。まだ早い。そんな大人な所はまだ早い。

もうハタチだけど。

 

でも出来るだけSay yesを目標にしてるから、

(Yes manじゃなくてYes womanを目指してる。滑ってるのは承知。)

重たい腰をあげて向かってみた。

 

Manhattanから乗るJの電車はBrooklyn bridgeを通って、

Franklyn Ave駅に止まった。

 

薄暗い道を通って、

右に曲がって左に曲がって

店員も客も黒人の小さな小さな、でも美味しい匂いのするレストランを渡って

 

みんなとはぐれると怖いから

小走りで小走りでついていくうちに

見えてきた。

  

 

 

 

BERG'N


なんだ。

レンガ造りですごく綺麗じゃないの!

店内中に長テーブルが並んで、

フードスタンドが並んで、

大きなスクリーンにはテニスの試合が中継されてて。

その横には、トランプとかジェンガとかボードゲームがいっぱいあって

んーシック。

 

 

怖がってた自分にちょっと笑った。

いつも東京で常連の青山の居酒屋中西の方がよっぽど怖い。

怖くて汚い。

 

 

バイト帰りに行く中西。ラストのシフトが終わって、疲れた体で行く中西。

店内はいっつも、たばこで煙くて、大学生とサラリーマンで溢れてて、賑やかで、

賑やかすぎて、隣の人が何言ってるのかよく聞こえなくて。

お通しがマカロニじゃなくてうどんのサラダで

ゴキブリがちょろってたまに居るから文句言うと飲み物タダで一杯くれる。

仕事の流れ、一次会の流れでみんな来てる。

そんな中西も私は好き。

 

 

でもここは、

みんなここに来る事が目的で来た感じ。

 

 

それぞれの用事が終わって

一回帰ってシャワーを浴びて

ちょっと着替えて一杯。

そんな感じ。

 

 

友達と来たかもしれないし

パートナーと来たかもしれないし。

一人で来たとしても

隣に座った人と今週あったこと話しちゃったりなんかして。

 

 

洒落てると思った。

 

全部想像だけど。

 

そんな初めてのブルックリンのバー。