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A's not-so-secret diary

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フェミニズムと、ことば

 

ファミリーマートのおかず「おかあさん食堂」シリーズは、

なぜ「おかあさん」なのか。

 

 

この間(といっても2か月以上前)、友人がモデレーターを務めるフェミニズムトークイベントに行った時に

グループディスカッションの議題として出された質問。

 

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議論の内容は後に置いておいて。

 

正直にいうと、そんなこと考えたこともなかった。

日常的に目に入ってくる、気づかぬうちにそこにあるものに、

「なぜ」を投じたことがなかった。

 

思えば、留学先での授業でフェミニズムのことを学んだこともあったし、

大学ではアメリカ女性史学のゼミに入っていたので、

女性解放運動の論文なんかもすごく読んだ。

 

それなのになんとなく、

フェミニズムというと、少し遠い存在で、

歴史の中の一つの出来事というか、

現在も活動家の人たちが大きく引っ張っている印象だったから。

 

すごく力の強い、時には少し過激で、

女性の平等を求めるその力強さが、

ときどき女性だけを優先させることを求めているように映ってしまうような。

 

もちろん自分も女性として、お仕事も女性の人生も充実させたいなとか

いろいろ考えるかもしれないけど、

それでもフェミニズムと自分はちょっと遠い存在な気がしていた。

 

だから、フェミニズムがテーマのトークセッションに行って

ファミリーマートの「おかあさん食堂」が出てきた時は

そっか、こんな身近なことがフェミニズムの題材になるのかと

少しびっくりしたし、

こんな身近なところにもフェミニズムの題材はあるのかと

フェミニズムについてもう一度考え直す機会になった。

 

フェミニズム」と一言で言っても、

それは多様な角度から、多様な度合いで

考えることができるのだなと気づかせてもらった、

今日はそんなお話。

 

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話はすこし戻って、

必ずしもお料理をするのが「おかあさん」ではない人もいれば、

「おかあさん」が最初からお家にいない人もいるのに、

なぜ「おかあさん食堂」でなければならないのか。

 

 

結論からいうと、私はこの疑問にすぐに異論をとなえた。

この場合の「おかあさん」は、個人の、誰かの「おかあさん」よりも、

一般的に、「おかあさん」っていうことばを、

買う人に何か共通のイメージを想像させるための手段として使っていると思ったからだ。

 

昔々ソシュールっていう言語学者が、ことばを、記号(signifier)と意味(signified)に分けた。

例えば「イス」っていう言葉は、

本来なら、イとスっていう音の記号(signifier)が並んでるだけだけど、

私たちが「座るもの」っていう意味(signified)をつけてる。

そしてその「イス」=「座るもの」で想像できるものは、

つ脚の背もたれのあるものだったり、

事務イスだったり、ソファ椅子だったり、

記号が示すものは、その時々、文脈によって

様々なカタチになる。

 

「おかあさん」も一緒で、その音が指すものって

私の自分のママである「おかあさん」であったり、

髪を結って、割烹着を着ていて、ごはんを釜炊きしてる「おかあさん」像であったりする。

もちろん私の「おかあさん」のそんな姿をみたことはないけど、

そういう「おかあさん」はなぜか想像ができる。

 

後者の「おかあさん」のイメージのおかげで、

「おかあさん食堂」という名前だけでなんだかメニューが想像できてしまう気がする。

かぼちゃの煮付けだったり、金平ごぼうだったり、鯖の味噌煮だったり、、、。

自分の「おかあさん」がそのメニューを毎日作るかは別にして、なぜか「おかあさん」のメニューが想像できてしまう。

 

そういえば、近所の居酒屋さんは、

甘い「おかあさんの玉子焼」と

だし風味の「おとうさんの玉子焼」と

違う名前のついた2品がある。

これも「おかあさん」と「おとうさん」から想起される

イメージなのだとおもう。

 

ということが色々頭を巡って、

だから必ずしも「おかあさん食堂」という言葉が

問題のある言葉でないとも思った。

(でもそれを聞いて傷つく人ももちろんいるかもしれないので難しいところだけれど。)

 

もちろん、だからといって私は、「フェミニズム」を反対してるわけでは決してない。

女性の平等に興味を持っていなければそれを専攻としていない

例えば最近起きた#kutoo運動も、

「女性がオフィスでヒールを履かなければいけないのは苦痛(kutoo)だ。」

という女性もいれば、実際に話を聞いてみると、

「オフィスではお洒落したいから、気持ちが引き締まるから、ヒールで。」

という女性もいた。

もちろんだからといって後者の女性たちは、フェミストじゃないわけじゃない。

賛成できるときもあれば、

賛成する必要ないと判断するときもあるというだけ。

 

女性の力強さ・解放を追求することも、

女性ならではの愉しみ方を愉しむことも、

これもどちらもフェミニズム

 

 

女性の側になって、

無視できない問題はまだあると思う。

大都市ではもう聞かないような事でも、

地方を見たら就活でさえ「女性だから」上手くいかない話も聞く。

旦那さんが色々手伝ってくれる気配がないと嘆く人も聞く。

 

反対に男性の側になっても問題はある。

(トークセッションで男性方がお話していたけれど)

今の時代、女性は「仕事一本」、「専業主婦」、「仕事と家庭の両立」、、、色々と道があるけれど、

男性はまだなんとなく仕事を重視しておいたほうがというイメージもある。

会社のエリア転勤が認められるのも女性社員が多いという話もあった。

 

女性の過ごしやすい社会を考えることも、

そして男性の過ごしやすい社会を考えることも、

これもどちらもフェミニズム

 

 

 

「おかあさん食堂」から

ずいぶんと色々考えさせてもらった。

「おかあさん」というただ記号のはずなのに、

いろんなことを示唆している。

 

それで、フェミニズムの話のはずなのに、

なぜ「ことば」の話になってしまったかというと、

単純に自分が「ことば」から考える頭しかなかったからかも。

 

その言い方はなんだか悲しいので、

逆手に取って、

 

自分らしい、自分が考えられる角度から

フェミニズムについて考えた。

 

という方が、良い言い方。

 

でも、

それでいいのかもしれないと思った。

フェミニズムは、多分色々な分野にその手を広げてると思う。

独り立ちした、遠い存在のものじゃない

 

職業や経済だけでなく、言語や芸術もスポーツも、、 

何か自分の角度から、

フェミニズムについて少し触れてみることも、

フェミニズムを知るための最初の、

でも十分な一歩だと思う。

 

 

それを教えてくれた

トークセッションでした。